戦後なぜ在日朝鮮人は嫌われたのか?~在日の暴動

昔は、在日朝鮮人(出身が朝鮮半島の人たち)に対する差別がひどかったという話を聞いたことがあります。

私は、在日の人たちに対する差別を実際に見たことはありませんが、学校では「差別はやめましょう」というような道徳教育がありました。

しかし、調べてみると差別という単純な問題ではありませんでした。

まず、戦後に在日朝鮮人は、日本人に対してさまざまな犯罪行為を行いました。

朝鮮半島は、日本が戦争に負けるまでは、日本の1つの地方でした。

ところが日本が戦争に負けたとたん、半島の人々は戦勝国を自称し、日本国内で暴力事件や暴動を起こすようになったのです。

1946年には、在日団体が生活物資を優先的に配給するように要求し、首相官邸を襲撃しました(首相官邸デモ事件)。

国民全体が困窮している中で「自分たちにだけ配給を優先的に回せ!」とテロを起こすなんて、ただのドクズじゃないですか?

また、生田警察署襲撃事件、富坂警察署襲撃事件など、全国各地で在日朝鮮人が集団で警察署を襲う事件が相次ぎました。

一般市民も、朝鮮人の暴動によって多数殺されています。

この記事では、戦後、日本人と在日朝鮮人との間に溝が深まった理由を解説します。

GHQが対立を煽る

GHQとは、第二次世界大戦後に、日本で占領政策を行った連合国軍の機関です。

なぜ、戦後朝鮮人が暴動を起こしたのかというと、そのGHQが煽っていたという経緯があります。

戦後すぐに、在日朝鮮人が「戦勝国」を自称し始め、「朝鮮進駐軍」と名乗って日本国内で暴力事件を起こしていました。

当時、日本の警察は、GHQ武装解除によって銃や武器を持てなかったので丸腰でした。

その丸腰の警察官を、朝鮮進駐軍と名乗る韓国人たちが、よってたかって集団リンチするわけです。

そのような状態であったにも関わらず、GHQは日本のマスコミに朝鮮人の犯罪の報道を禁じていたのです。

日本では、アメリカ人や中国人、ロシア人など、戦勝国側の犯罪者の報道が禁じられていましたが、朝鮮は戦勝国ではありません。

先ほども述べたように、朝鮮半島は戦前は日本の一部だったので、日本の敗戦後は国ですらなく、日本から切り離された「一地方」でしかなかったのです。

GHQは建前上は朝鮮人を「第三国人戦勝国でも敗戦国でもない国の人間)」と定義していましたが、実質的には戦勝国のように扱い、さまざまな特権を与えました。

GHQを無視して、在日朝鮮人の犯罪を報道した新聞社もありましたが、朝鮮人の集団に襲撃されました。

日本の警察が朝鮮人の犯罪者を逮捕すると、その犯罪者を奪還するために、朝鮮人が集団で警察署を襲いました。

さらに、彼らは駅前の一等地を手に入れるために、日本人の地主を集団で襲って殺害しました。

当時の在日朝鮮人は、日本全国いたるところで、このようなテロ・破壊行為・集団リンチを行っていたのです。

朝鮮の事大主義

朝鮮が戦後豹変したのは、「事大主義」が原因だと考えられます。

事大主義とは、強い勢力に従う主義のことで、要はより強い国に従うということです。

朝鮮は、いつの時代も強国にすり寄ることによって生き延びてきました。

そして、強国と一緒になって弱い相手を徹底的に踏みつけるのが、朝鮮という国のやり方です。

良い悪いは別として、過去の歴史を見ると常にそういうやり方をしているんですね。

また、スターリン中国共産党の支援を受けて、テロリストが日本に大量に密航したため、朝鮮進駐軍にはそのような共産主義者も多数加わっていました。

共産主義者たちは、朝鮮人(現:北朝鮮人と韓国人)に日本で暴動を起こさせ、日本を共産主義化したいと考えていました。

彼らは自ら暴動を起こすとともに、事大主義に乗っかる朝鮮人たちを焚きつけて日本で暴れさせたのです。

台湾人から見た戦後の朝鮮人

台湾人の蔡焜燦(サイ・コンサン)氏は、日本で敗戦を迎えましたが、そのときの朝鮮人の変わり身の早さに驚いています。

蔡氏は、当時志願兵として日本の軍学校で訓練を受けていました。

学校では日本人、台湾人、朝鮮人の生徒が一緒に学んでいました。

当時、日本風に名前を変えるのは強制ではなかったので、クラスの朝鮮人全員が日本風に改名していたことに、蔡氏は驚いたそうです。

※当時、戸籍管理のために苗字と名前を持つことは必須だったが、氏名を持っていさえすれば朝鮮名でも台湾名でもよかった。

そんな中、敗戦の知らせがあったのですが、その日から朝鮮人の生徒たちは、集団で食糧倉庫や被服倉庫を強奪し始めました。

列車の中でも朝鮮人が威張っており、日本人を殴ったり、物品を強奪したりとやりたい放題でした。

日本の軍服を着ていた蔡氏も、日本人だと思われて、新品の飯ごう(屋外で米を炊ける調理器具)を朝鮮人たちに奪われたそうです。

その後、蔡氏が「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけていると、同じ朝鮮人たちが蔡氏におべっかを使ってすり寄ってきました。

というのは、中華民国というのは第二次世界大戦戦勝国だからです。

開戦時、台湾は日本の領土だったので、台湾人は戦時中は日本の味方として戦っていました。

しかし中華民国が日本に勝ち、台湾を占領しました(日本が台湾を統治する以前は、台湾は中華民国の領土だった)。

つまり、台湾は日本の味方として戦ったものの、日本の敗戦とともに第二次世界大戦戦勝国になるという、不思議なポジションになったのです。

おべっかを使ってすり寄ってきた朝鮮人たちを見て、蔡氏は、

「弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした」と、著書「台湾人と日本精神」の中で述べています。

裏切られたと感じた日本人

併合時代の実態を知っている当時の日本人からすると、朝鮮人の暴動はまさに裏切り行為でした。

というのは、併合は朝鮮のほうから何度も頼んできて実現したものでしたし(日本は金銭的に、できれば朝鮮に自力で独立してほしかったので、最初は併合を断っている)、朝鮮は併合で日本から恩恵を受けた部分が非常に大きいからです。

併合で朝鮮が受けた恩恵は、奴隷的な身分制度の解放、インフラの設備、5,000校以上もの学校の設立、朝鮮の歴史的建造物の修復、ハングル文字の普及、はげ山への数億本の植林事業など、数え上げればきりがありません。

これらのすべてが、日本人の莫大な血税で行われていたのです。 日本は朝鮮からも税を徴収してはいましたが、その税率は日本国内の税率よりも低く、そのお金ですべての改革費用を補うことはできなかったのです。

日韓併合時代に、日本が対韓国で黒字になった年は、一度もありません。

韓国では、まるで日本人が韓国人を奴隷扱いし、搾取したかのような教育を行っていますが、むしろ搾取されたのは日本人です。

実際は、日本人は韓国人に対して奴隷扱いどころか、差別すら許されませんでした。

個人レベルでは差別する人もいなかったわけではないと思いますが(どこの国・時代にも差別主義者は存在するので)、少なくとも社会レベルでは差別は許されていなかったのです。

たとえば、当時の日本国内では朝鮮人参政権・被参政権があり(当時は朝鮮人も日本国民だったので)、朴春琴など朝鮮人の国会議員も存在しました。

さらに日本軍人として出世もできたので、日韓併合時代には洪思翊や趙性根など、朝鮮出身の中将が6名も誕生しています。

※中将になるのは日本人でも非常に難しい。

人種差別に対して敏感なアメリカでさえ、第二次世界大戦時は黒人に対する差別意識があったので、白人と黒人は基本的には別部隊でした。

つまり、白人は白人の部隊、黒人は黒人だけの部隊に配属されたのです。

しかし、朝鮮半島出身の軍人は日本人と同じ部隊に配属され、日本人の部下もいました。

それに対して、文句を言う日本人は誰1人いませんでした。

このことだけとってみても、当時の日本が朝鮮人を平等に扱おうと努力していたことがわかります。

このように、日韓併合時代には一般の朝鮮人は日本国民として生きていました。

そのため、日本人からしてみれば、なぜ敗戦と同時に「差別された!奴隷にされた!」と暴動を起こすのか理解できなかったのです。

こういった経緯があるので、日本人が朝鮮人を嫌ったのも無理はないと思います。

マッカーサーに手紙を書いた吉田茂首相

朝鮮人の暴動は、戦後日本の深刻な問題になりました。

吉田茂首相は、1949年にマッカーサーに対して「在日朝鮮人の全員送還を望む」という手紙を書いています。

(以下、手紙)

連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下

親愛なる閣下

日本の戦後の諸問題のうち朝鮮人と台湾人に関するものがありますが、彼らはかつて日本国民であり、現在もこの国に依然として滞在しているものです。

ここでは台湾人については、彼らが比較的少数であり、それほど問題を起こしておりませんので、しばしふれないことに致します。

しかし、総数約一〇〇万人、そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、われわれはいま早期の解決を迫られております。

私はこれら朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。

その理由は以下の通りです。

(1) 日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。

アメリカの厚意によって、われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。

これらの輸入は、将来何世代にもわたって、わが民族の負債となることでありましょう。

もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、公正なこととは思えません。

(2) これら朝鮮人の大多数は、日本経済の再建に貢献しておりません。

(3) もっと悪いことには、これら朝鮮人は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。

彼らはわが国の経済法規を破る常習犯です。

かなりの数が、共産主義者かその同調者であり、もっとも悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。

投獄されている者は、常に七〇〇〇人を越えています。

戦後今日まで裁判に付せられた、朝鮮人による刑事事件は以下の通りです。

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さて朝鮮人の送還計画として私が考えるのは次のようなものです。

(1) 原則として、朝鮮人はすべて送還され、その費用は日本政府の負担とする。

(2) 日本に在住を希望するものは、日本政府に許可を申請すべきものとする。在住許可は、日本経済の再建に貢献しうると見なされたものに与えられる。

以上述べました私の考えが、貴官によって原則的に承認を得られた場合は、送還に伴う予算その他の具体的措置について、あらためて案を提出致します。

敬具

吉田 茂

首相がGHQの最高司令官に手紙を書くって、よっぽどですよ。

事件数から推測して、数万人の日本人が、韓国人によって殺害された可能性もあるでしょう。

当時、日本はGHQの占領下でしたから、全員を強制送還するとなるとマッカーサーの許可が必要でした。

しかし、GHQは日本人と朝鮮人の対立を望んでいましたし、また朝鮮戦争が勃発したこともあり、この案は却下されました。

このような事情があるので、当時の日本人は朝鮮人を警戒せざるを得なかったのです。

まとめ

戦後は「朝鮮進駐軍」と名乗る朝鮮人が、全国各地で略奪や傷害事件を起こしており、また警察署を襲って逮捕された犯罪者を取り戻すということが常習化していました。

そのため、朝鮮人犯罪者が野放しになるケースが多発していました。

さらに、1970~80年代の北朝鮮による日本人拉致事件には、朝鮮総連という在日組織が協力していたことも判明しています。

なので、日本人は在日朝鮮人を警戒せざるをえず、またこのような略奪・暴動・犯罪行為を行う朝鮮人を嫌うことも多かったのです。

これは差別ではなく、犯罪に対する自然な嫌悪反応だと思いますね。

ただ、今は朝鮮人のテロ行為や、拉致事件への関連を知らない人が増えているので、在日朝鮮人だからといって嫌われたり差別されたりすることはほぼないと思います。

日本の公立学校では、日本人が加害者で、韓国・朝鮮人は差別された被害者のように教えていますが、逆です逆。

戦後、なぜどのように反日活動が多発したのか、学校では正しく教えるべきでしょう。

事実を教えないで、朝鮮人はかわいそうとだけ教えるのは、日本人差別ではありませんか?

ただ、問題はすべての在日韓国・朝鮮人ではなく、反日の韓国人や反日帰化人、(吉田首相が手紙の中で言及していたように)共産主義者なので、そこもきちんと教える必要があります。

※在日の犯罪組織や政治工作には加わらず、まじめに生きてきた良い朝鮮人帰化人も多いです。

まずは学校で、日韓併合時代と戦後の正しい歴史を教えないと、事実を後で知ったときに日本人からすると非常に不愉快なんですよね。

被害者ポジションの捏造か、と思って軽蔑してしまう。

しかも、これらの暴動に関して、韓国政府と北朝鮮政府は、日本への謝罪・賠償を一切行っていません。

謝罪するどころか、歴史を捏造して日本に謝罪を求めています(笑)

これでは、日韓の間にさらなる対立を生むだけでしょう。

少なくとも日本の学校は、在日韓国・朝鮮人に対するさらなる憎悪を生まないためにも、これ以上嘘を教えるのをやめるべきですね。